この質問には、次の点で分析を加えることが出来るかと思います。
一つは、直接話法・間接話法と時制(過去と現在)の一致。
もう一つは、後述。
①は、「勉強する」と「でした」では、時制が一致していないので直接話法と見なせば、
わたしは、「日本語をよく勉強する。」ほうでした
と表現できるかもしれません。しかし、やはり変です。
②は、時制が一致しているので、間接話法と見なして、そのままの表現で通ります。
結局、②の方が、正しいということになります。
それとは別に、
「勉強した」は、過去の事実を表しますが、「勉強する」も現在の事実を表すかというと、必ずしもそうではありません。なぜなら、現在というのは、時間的に一瞬でしかないものであり、現在の事実を表すのには、実際には、現在進行形(~している)が必要となるからです。
なので、「勉強する」は、発生が確定的となった近未来の事柄を表現するのにも使われます。あなたも、両親から「早く宿題をすませなさい。」と言われて、「8時から勉強するよ。」などと返答した経験があるでしょう。
この「発生が確定的となった近未来の事柄」が、過去に数度繰り返されていれば、「勉強する」という表現の中に、習慣性や、その人の性格や傾向を含めたものとなることがあります。また、「勉強する」は、近未来の事柄を表現するものであるために、その人の気持ち・意志を表現することにもつながります。
結局、「①わたしは日本語をよく勉強するほうでした」文法的にはおかしく見えますが、人物の性格や傾向、意志をニュアンスとして表現することになるので、
「私は、日本語の勉強をすることが好きな人間でした。」
「私は、自ら進んで日本語を勉強しました。」
といった、意味合いを込めることが出来る表現です。 |